FIRE計画のバッファ設計:不確実性に対応する安全余裕率の考え方
FIRE計画における「安全余裕率」の必要性
早期リタイア(FIRE)を目指す上で、精密な資産目標額の算出や綿密な支出計画は不可欠です。しかし、私たちが立てる将来の計画には、常に不確実性が伴います。市場の変動、予期せぬ大きな支出、想定以上の長寿化、インフレ率の上昇など、計画段階では予測しきれない多くの要因が存在します。
こうした不確実性が現実になった場合、ぎりぎりの計画ではFIRE生活が破綻するリスクが高まります。このような事態に備え、計画に意図的な「ゆとり」を持たせることが重要となります。このゆとりこそが「安全余裕率」という考え方です。
本記事では、なぜ安全余裕率がFIRE計画に不可欠なのか、その考え方、そして計画に具体的に組み込む方法について解説します。
安全余裕率とは何か、なぜFIRE計画に必要か
安全余裕率とは、計画の根拠となる数値(例えば、FIREに必要な資産額や年間の生活費)に対して、将来起こりうる様々なリスクや不確実性に対応するために上乗せする追加の余裕のことです。これは、単に「お金を多めに持っておく」という漠然としたものではなく、計画の頑健性を高めるための戦略的なバッファです。
FIRE計画において安全余裕率が必要な主な理由は以下の通りです。
- 市場の変動リスクへの対応: 株式市場などが大きく下落した場合でも、資産の目減りによる資金枯渇リスクを低減します。
- インフレリスクへの対応: 想定以上のインフレが進行した場合でも、生活費増加に対応できる購買力を維持します。
- 予期せぬ支出への備え: 住宅の修繕、医療費、家族の支援など、計画外の大きな支出が発生した場合に対応します。
- 長寿化リスクへの対応: 想定以上に長生きした場合でも、資産寿命が尽きるリスクを減らします。
- 精神的な安定: 計画に余裕があることで、市場の短期的な変動や小さな不測の事態に一喜一憂することなく、安心してFIRE生活を送ることができます。
多くのFIRE計画で参考にされる「4%ルール」(年間生活費を退職時の資産の4%以内に抑えれば、理論上30年間資産が枯渇しないとされる考え方)も、過去の市場データを基にしたシミュレーションですが、将来が過去と同じように推移する保証はありません。リーマンショックのような大きな市場下落や、近年のようにインフレ率が上昇する局面では、4%ルールだけでは十分な安全が確保できない可能性も指摘されています。そのため、4%ルールを適用するにしても、それに加えて安全余裕率を考慮することが望ましいと考えられます。
安全余裕率の具体的な考え方と組み込み方
安全余裕率をFIRE計画に組み込む方法はいくつか考えられます。単一の方法だけでなく、複数のアプローチを組み合わせることも可能です。
1. 目標資産額への上乗せ
FIREに必要な資産目標額を計算する際に、算出した基本額に一定割合を上乗せする方法です。
- 計算例:
- 年間生活費目標額: 400万円
- 4%ルールに基づく基本資産目標額: 400万円 ÷ 0.04 = 1億円
- 安全余裕率: 15% と設定
- 最終的な資産目標額: 1億円 × (1 + 0.15) = 1億1500万円
このように目標額自体を高く設定することで、計画の出発点に余裕を持たせます。上乗せする割合は、個々人のリスク許容度、計画期間の長さ、資産構成(後述)などを考慮して決定します。一般的には10%~30%程度が検討されることが多いですが、これはあくまで例であり、ご自身の状況に合わせて慎重に検討が必要です。
2. 年間生活費見積もりへの上乗せ(予備費)
年間で必要となる基本的な生活費を見積もる際に、通常の支出項目に加えて「予備費」として一定額や割合を計上する方法です。
- 計算例:
- 年間基本生活費(家賃、食費、光熱費など):350万円
- 予備費として生活費の10%を上乗せ:350万円 × 0.10 = 35万円
- 年間総生活費見積もり(目標設定用):350万円 + 35万円 = 385万円
この見積もり額に基づいて目標資産額を算出することで、自動的に目標資産額に余裕が生まれます。この予備費は、医療費、冠婚葬祭費、突発的な旅行など、予測困難な支出に対応するために活用することを想定します。
3. ポートフォリオにおける安全性の考慮
資産運用戦略においても安全余裕率の考え方を取り入れることができます。
- 保守的な資産の組み入れ比率: 株式などのリスク資産の比率を抑え、債券や現金、金などの比較的値動きの安定した資産の比率を高く設定することで、市場下落時の資産の目減りを抑えます。ただし、これは期待リターンを低下させる可能性もあるため、目標達成までの期間とのバランスが重要です。
- 十分な現金または現金同等資産の保有: 数年分の生活費に相当する現金を、運用資産とは別に確保しておくことで、市場が下落している局面でも資産を取り崩す必要がなくなり、資産回復を待つことができます。これは特にFIRE直後の「連続ダウンリスク」(FIRE直後に市場が連続して下落するリスク)に対する有効な備えとなります。
4. 緊急資金の再定義
多くの方が現役時代から緊急資金(3~6ヶ月分の生活費など)を確保していますが、FIRE後はこの考え方を拡張する必要があります。FIRE後の緊急資金は、数ヶ月分ではなく、1年分、あるいはそれ以上の生活費を確保することが推奨される場合が多いです。これは、収入がない状態での予期せぬ支出や、市場の短期的な混乱に対応するための重要な安全弁となります。
安全余裕率を設定する際の考慮事項
安全余裕率を高く設定すればするほど、計画の破綻リスクは低減されます。しかし、過剰な安全余裕率はFIRE達成時期を大幅に遅らせる可能性や、不必要な節約を強いることにも繋がりかねません。
適切な安全余裕率を設定するためには、以下の点を考慮する必要があります。
- 個人のリスク許容度: 不確実性に対してどれだけ不安を感じやすいか。
- FIREまでの期間とFIRE後の期間: 期間が長いほど、不確実性が高まるため、より高い安全余裕率が必要になる傾向があります。
- 資産構成: リスク資産が多いポートフォリオの場合、市場変動リスクに対応するためにより高い余裕率が必要かもしれません。
- FIRE後の収入の有無: FIRE後もパート収入や副業収入が見込める場合は、必要な余裕率を抑えられる可能性があります。
- 家族構成やライフイベントの予定: 子供の教育費、親の介護、自身の医療費など、将来予期される(あるいは予期しうる)大きな支出があるか。
一度設定した安全余裕率や計画全体も、定期的に見直すことが重要です。経済状況やご自身の健康状態、家族の状況などは常に変化するため、計画が現実と乖離していないか、必要に応じて調整を行います。
まとめ
FIRE計画における安全余裕率は、単なる心理的な安心のためだけでなく、市場変動、インフレ、予期せぬ支出といった様々な不確実性から計画を守るための具体的な経済戦略です。目標資産額への上乗せ、生活費見積もりへの予備費計上、ポートフォリオでの保守的な資産組み入れ、十分な緊急資金の確保といった方法で計画に組み込むことができます。
適切な安全余裕率の設定は、個人の状況によって異なります。ご自身のライフプラン、リスク許容度、資産状況などを総合的に考慮し、計画に無理のない範囲で、しかし十分な安心を確保できるようなバッファを設けることが、持続可能なFIREを実現する鍵となります。計画策定時には、ぜひこの「安全余裕率」という考え方を組み込んでみてはいかがでしょうか。